「どうせ家の中だけだから」という言い訳
クローゼットの整理をしていると、
首元がヨレてしまったり
お気に入りでたくさん着て色あせてしまった服を前に、
手が止まることがあります。
外に着ていくには恥ずかしいけれど、捨てるのはもったいないな。
よし、部屋着にしよう。
以前の私は、これが当たり前の習慣になっていました。
家の中で過ごすだけなら、誰に見られるわけでもありません。
汚れても気にならないし、
合理的でエコな選択だと思っていました。
でもある日、ふと家の鏡に映った自分の姿を見て、
なんだか少し悲しい気持ちになったのです。
ヨレヨレのTシャツに、色褪せたズボン。
そこに映っていたのは、
「おうち時間をリラックスして楽しむ自分」
ではなく、
「どうでもいい格好で、なんとなく過ごしている自分」でした。
部屋着は「自分だけ」が見ている、自分への扱い方
どうせ誰も見ていないから。
その言葉の裏には、自分に対する小さな油断が隠れていました。
確かに他人の目はそこにはありません。
でも、他ならぬ「自分自身」は、
その格好をした自分を1日中ずっと見ているのです。
着古してクタクタになった服を着ていると、
不思議と行動までルーズになっていくことに気づきました。
ソファにダラリと寝転がってスマホを眺める時間が長くなったり、
なんとなく気分がシャキッとしなかったり。
部屋着を
外に着ていけなくなった服の終着駅にすること。
それは、知らず知らずのうちに、
家の中の自分はおざなりにしてもいい。
と、自分自身にメッセージを
送っているようなものだったのかもしれません。
「お気に入り」に包まれる、心地よいおうち時間
一念発起して着古した服を思い切って処分し、
新しく部屋着のための服を迎えることにしました。
選んだのは、肌触りが心地よくて、
洗濯機でガシガシ洗えるけれど、
シルエットが綺麗でどこか上品に見えるもの。
部屋着をお気に入りに変えてからの毎日は、
驚くほど快適で、心が満たされるものに変わりました。
朝起きて、服に袖を通すだけで
自分の暮らしを丁寧に扱えている気がして嬉しくなります。
急にインターホンが鳴って宅配便が届いても、
慌てて着替える必要はありません。
鏡に映る自分の姿がすっきりしているだけで、
ただ部屋でコーヒーを飲んでいるだけの時間が
ちょっと特別なものに感じられるようになりました。
暮らしの質は、見えないところで決まる
外に出かけるときの服が「他人のための服」
だとしたら、
部屋着は100%「自分のための服」です。
一番リラックスしたい場所で、
一番長い時間をともに過ごす服だからこそ、
もったいないからという理由だけで妥協せず、
自分がご機嫌でいられるものを選びたい。
おうちの中の装いを少し整えることは、
自分自身を大切に労ること。
そして暮らしそのものを愛おしむことに直結しているのだと、
今では強く実感しています。
もし、あなたのクローゼットにも
「部屋着に格下げされた服」が眠っていたら。
一度それらをそっと手放して、
自分が心から「心地いい」と思える一着に着替えてみませんか?

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